気が付けばISAMIMHZも1年経ちました

いつもこのウェブログを読んでくださる皆様、ありがとうございます。

 

気が付けばもう3月。

 

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有難いことに年明けてしばらくしてから大量の依頼を国内外からいただくことができまして、多忙な日々を過ごしております。睡眠時間を削っての体力勝負なところも若干ありますが、それでも日々新たな発見があったり世界中の人達とコンタクトをとったりととても素敵な経験をさせていただいております。本当に沢山の人達に感謝する毎日です。

 

そうなんです。

タイトルの通り、1年前の3月にISAMIMHZは今のような活動をスタートさせました。

 

ちょうど1年前に、とあるバンドの来日マネージャーを頼まれた事がそもそもの始まりでした。日本人で友人と呼べるような人間がマリナしかいない、そう彼らが私を選んでくれたことはとても嬉しく誇らしいことでしたが、彼らが日本に来たとして、会場の半分も埋まっていないような景色だけは見せたくない。やっと日本に来ることができた…という気持ちを、最高の手応えと思い出として残してほしい、その為に私にできることはなんだろう?

 

そう思って始めたのがこのインタビューという活動でした。

私自身、今でも別に英語が堪能なわけではありません。でも日本に情報がくるまでタイムラグがある中で、日本語で色々読みたい聞きたいバンドの話はいっぱいありました。言語が違うという、それだけで素晴らしい音楽を知ることができないのはとても残念だ。英語が上手になってから…いつか…、ずっとそう思っていた私の背中を押してくれたのは、その時に私を推薦して抜擢してくれた海外のバンドでした。

やらなきゃ始まらない、その気持ちから手探りで始めたインタビュー。

初めは依頼のメールを10件送って1~2件戻ってくれば万々歳…というほど、鳴かず飛ばずで誰にも見向きもされませんでした。

 

そんな中、ある日1件の返信がメールフォルダに届きます。

『日本の事大好きなんだ、是非やらせてよ』

そう連絡をくれたのは私の初めてのインタビューゲストとなった、UPON A BURNING BODYのGt.ルーベン。当時新譜の制作のためのスタジオ入りを発表したばかりだった彼らですが、あんなにショーや曲もかっこよくて喋るのも大好きそうなのに日本語訳のインタビューを一度も見たことがない…もうメールを無視される事にも慣れていた私はダメ元で依頼を送っていました。それでも聞いてみたい話があったから。

 

その頃は今よりもっと英語が滅茶苦茶でした。誤字をすることも結構あり、聞きたい話はあるのにちゃんと英語に訳せなくて質問自体を変えてしまうこともありました。そんな中、快く応じてくれたルーベンの人の良さに当時の私は何度も救われながらあのインタビューを完成させました。

 

UPON A BURNING BODYのインタビューをやりました!

 

やった!!という達成感とは裏腹に、彼らに申し訳ないと思うレベルで私には発信力も注目度もありません。バンドのアカウントがわざわざリンクをシェアしてくれた事で、徐々に何人かの日本の人の目に留まることができたと思っています。

 

このままじゃいけない…でも諦めちゃいけない。

その気持ちで最低でも月に1本はアポとってインタビューをやろう。

 

また沢山の依頼メールを送る日々が続きました。

 

 

面白い人達だな、そのルーツを知りたいな…と思った

Nightshade

こんなに綺麗で引き裂かれそうな音楽をやる人達がいるんだ…と感じた

Imminence

たまたま、AlesanaのGt.パトリックが組んだバンドと聞き興味のわいた

Versus Me

そしてI Am Ghostの一夜限りの再結成を受け、たまらず送った依頼を快諾してくださった

Steven Juliano

かっこいい!と思って観ているだけだった。偶然Imminenceとツアーしていることを知り勇気を出して声をかけた

Our Hollow, Our Home

新譜制作の際のShiroyamaに興味がわきすぎて依頼を送った

SABATON

 

実はこの時点で、アポは取れてもちゃんと回答を送ってくれているバンドは半数です。

結果的に、その人達の回答を受け取ることができずに残念な結果に終わってしまったケースも多く、自分の非力さを感じていました。

しかし回答を送ってくれたどの人達から聞けた話も、私にとってはとても興味深い話ばかりで、楽しくインタビューをさせてもらうことができました。

 

 

ここから少し転機が訪れます。

もっと幅広く活動したい、今しかできないことに挑戦してみよう。

そう考えた私は、インタビューアーとして海外公演に参加したいとWarped Tourの代表担当者宛にメールを送りました。今考えると本当に無謀な話(笑)でもその方にきちんと対応をしていただき、カメラを持つことに。

 

実質、一眼レフを購入したのはWarped Tourの始まった直後の6月。そして初めて撮影をしたのはRNR TOURSさんの主催で来日していたDesasterkidsでした。

 

そして偶然の縁からBAD OMENSの写真を撮りに行くことになり、

高校生の頃から大好きだったSonic Syndicateの来日にも参加させていただくことができました。

 

そこからが今の驚きの毎日のスタートでした。

 

I Killed The Prom Queen

10 Years In The Black Tour

AMARANTHE

Annisokay

Famous Last Words

 

私の実力では考えられないような人達と関わる日々、

憧れの人達が目の前を歩いている空間に身を置くような非日常、

現地で初めて目にしたバンドに声をかけ

Westfield MassacreやWalking Dead On Broadwayのような

今の私にとって最高な友人に出逢える機会もありました。

 

これがたった1年の間に起こったことだとは

自分でも正直あまり信じられません。

 

 

そして2017年、有難いことにいまだに私はこの音楽に関わる活動を続けることができています。

 

楽しいことばかりではなく「もう嫌だ」と思ったことも何度もあります。

 

綱渡りのような毎日ではありますが、これからも出来る限りこの活動は続けていきたい。

 

私は特異な才能もなく、器量もなく、口も悪くて人付き合いもヘタな所謂ダメ人間です。本当はあった夢も、志半ばで失いました。思えば小さい頃から、そんな劣等感が私の原動力で音楽に触れるキッカケでもありました。見た目で判断しない海外の仲間達との会話に救われたり、許可を出してくれるマネージャーさんが居てくれたり、日本人の私に笑いかけてくれる沢山の人達が居てくれたり。何の活動をするにも周りの皆が居てくれなければ続けられなかった。そういつも心の中にしっかり刻んで活動していこうと思っています。

 

私にできる事は、日本にいつか行きたいと話してくれる仲間の声を届けたり一人でも多くの人に彼らの曲を聴いてもらう事。もしかしたら、そんな誰かひとりの心を掴むかもしれない。ちょっとずつだけど、何度も何度も書いていたら誰かの目に留まるかもしれない。そう思って書いています。

 

"いつか"

"だれかやってください"

そうじゃない、誰かひとりじゃ絶対できない。

"私達が叶える" くらいの事をファンも思っていいんじゃないかな。

そこの距離感がね、たまに難しいこともあるけれど。

CD1枚買う事だって立派なサポート、それはバンドの皆の努力の塊だから。

いつか小さな声が広がって、沢山の人からのラブコールになったら、きっと動く人達も出てくる。

 

 

 

1年、長いようであっという間でした。

今年はどんな音楽に出逢えるんだろう。

どんな人達と活動するんだろう。

 

幾つも素敵な話も決まっています。

私でいいのかな、私にできるかな、

内心実はそんな自分の気持ちと葛藤しながら

それでもいただいたものはしっかりこなし、頑張っていきたいと思います。

 

 

昨年お知らせした1年分のインタビューをまとめた冊子ですが、現在急ピッチで締め切りの早い依頼から進めている状況です。おそらく今月中の入稿はできるかと思いますが、もうしばらくお待ちくださいませ。

 

少し気は早いですが、今年の撮影やインタビューをまとめた冊子もこの年末に作る予定です。なので今年は11月まででインタビューを区切ろうかなと。

 2017年版 インタビュー/レビュー本制作プロジェクト(WOAに挑戦したい!) - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

もし良ければ私の活動へのご支援もよろしくお願いいたします。

 

 

最後にもう一度、このブログを読んでくださっている皆様

お世話になっている音楽関係や来日公演関係の皆様

日々交流してくれる海外の仲間達

そして結果的に好きな事をやらせてくれている家族へ

 

最後に この活動を始める最大の理由であり

私を何度も救ってくれた兄弟

フランスのBlack Bomb Aの皆へ

 

大きな感謝を。